最相博子のカンボジア滞在記

     
私設の学校運営 エム・ボウン氏

 1月8日(火)、今日は車で20分ぐらいの村へ向かいました。最初の村のヴィレッジバンクの役員は、エム・ボウン氏という地雷被害者の男性。この人が、この村のヴィレッジバンクの頭取と貯蓄係を兼務していて、もう一人がローンを担当していました。

 このエム氏は、1994年に、戦争中に地雷を踏んだとのこと、しかもBー40という地雷が2つ重ねてあったらしいのです。右足の太ももから下を切断。右手は親指以外の指を切断、しかも、左足にも深い傷あとが残っていました。だれも生き延びることができるとは思わなかったそうです。

 すでに家族があった彼にとって、生きていくこと自体が大変で、治療費には約1000ドル(US)かかり、何もかも売らざるを得なかったそうです。

 1997年にこの村に移り、奥さんと二人で必死に働いて、子供たち6人をきちんと育てています。生れたのは9人なのですが、三人(2番目-7歳、4番目-三歳、5番目-2歳)を病気でなくしたそうです。病院に見せるお金がなかったからとのことでした。ちょうど被害にあった後のことらしいのです。

Emと新しい学校(エム・ボウン氏、戦争中に二重になっている地雷を踏み、片足と片手の指を失った。後ろに見えるのが、まだ柱と屋根だけの新しい校舎) 現在は、村に学校を開いています。学校といっても、わらぶきの家で、黒板一つとホワイトボード一つがあるだけで、床は土のままです。この村には学校がなく、5キロも離れていて、低学年の子供には通うのが困難なので、彼は奥さんと二人で、小さい子供たちを集めて教えているのです。

 午前と午後に2クラスずつあり、大人のクラスも開く予定とのことです。生徒の数は207名、年齢は6歳から12歳まで。現在、回りの村を含む4つの村から子供たちが通っています。この村は237人中126人が読み書きができないとのこと。もちろん何処からの援助もなく、一人の子供から1年にお米12キロというのが、年間の授業料とのことで、お金にして、4〜5000リエル(1ドルちょっと)です。

 エム氏は現在、新しい校舎を作っているところでした。ただし、まだ柱と屋根だけで、壁もありません。今1番必要なものは、とたずねると、壁、という答えでした。300ドルあれば十分ということなので、帰る前に寄付することを約束しました。(ほとんどの経費をコンサーンが賄ってくれましたので、旅行費の一部を寄付しました)

 机はイスもないので、KLCCから、あるいは街頭募金をしてでも協力できないものかと思案中です。現在の校舎は雨季にはびしょぬれになるとのことなので、ここはぜひともKLCCから直接の支援をしようと思います。

 地雷の被害の多い地域といっても、そうそう被害者を見かけない理由がわかりました。兵士だった人は助かる確率が非常に高いのですが、一般庶民は、誰にも見つけられずに死んでいくか、仮に見つけられてもお金がなく、病院にいけないので、やはり死んでしまうケースが多いと言うことでした。だから本当の意味での被害者数はわからないのが現状のように思われます。これはカンボジアに限ったことではないでしょう。

 プノンペンやシェムリアップで見かける片足のない被害者たちと、村で出会った被害者たち、生きる姿勢に大きな違いがあります。考えさせられる点ですし、物乞いをしている被害者たちに、努力をしている被害者の姿を知って欲しいとも思いました。

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