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みなさまに会えてとてもうれしいということと感謝の気持ちをお伝えして、今日のスピーチを始めたいと思います。また、熊本は始めて訪れましたが、素晴らしい人々と素晴らしい町並みが広がっていることを知ることができて、とてもうれしく思います。
私の地雷問題との関わりは、私が軍隊をやめた時から始まりました。私は軍隊を辞めるにあたって、何か価値のあることをしたいと思っていたのです。
(片足の男性が写ったスライドを見ながら)この写真の男性はカンボジアで地雷のために足をなくした人です。地雷によるけがは、とてもひどく、おそろしいものなのです。
内戦が終わった国々で、今度は地雷が身体的な問題を引き起こしています。たとえば、道路や学校に地雷が埋められているので、人々は元の生活に戻れない。ですから、経済や農業を再構築することが出来ません。
地雷には3つのタイプがあります。これは(スライド)対戦車地雷ですが、この中には7kgの爆薬が含まれています。これを爆発させるには、かなり強い圧力が必要です。これにより戦車を動けなくするのです。ランドクルーザーのような車では完全に破壊されてしまいます。
次に破砕式地雷ですが、これは爆発すると破片が飛び散るようになっていて、一度にかなりの数の人間にけがをさせます。ジャンピング地雷と言われるものは、仕掛けのワイヤーが張り巡らせてあり、そのワイヤーに引っ掛かると、地雷が1mほど飛び上がり、次の段階で本体のステンレス部分が何千という破片になって、約50mの範囲に飛び散ります。
それから圧力式地雷ですが、これは地面の中に埋められていて、誰かが踏むと爆発するようになっています。100gほどの火薬が入っていて、大人の足を吹き飛ばすくらいの威力です。
地雷の大きな問題は、内戦が終わった後も、何十年も人々に被害を及ぼすことにあります。(両手を失った青年の写真を見て)この国で片足をなくした男性が生きていくことも困難ですが、このように両手をなくした青年はもっと大変でしょう。カンボジアでは多くの人々は米を作っています。経済は小規模な農業で支えられているのです。両手をなくしてしまった青年は農作業が出来ないので、家族を養うことも出来ません。しかもこういう地雷の被害は、家のすぐ近くで起こっているのです。
国連の統計によると、世界中に一億個以上の地雷が埋まっているといわれています。当初、カンボジアでも800万から1000万個が埋められているといわれていましたが、近年の撤去活動により、今現在残っているのは100万個くらいだろうといわれます。もちろん、この数もかなりの数なので、撤去するのは大変な仕事です。しかし、この数ならすべて取り去るのは、10年以内に可能になるでしょう。そのためには、10年以内に成し遂げようという強い意志で、政府がお金を出し、たくさんのNGO団体のサポートが必要条件となります。
地雷撤去作業は、現段階では、地元の人たちを地雷撤去できるように訓練し、作業をしてもらっています。地雷原を1m幅に区切って調べ、撤去が完了したところは白い線で示します。
まず、第一段階で、プラスチック棒を注意深く使って、ワイヤーが張ってないかをチェックします。ワイヤーがなければ、次は草の刈り取りです。刈り取った草を自分のうしろに置き、金属探知機で地表をていねいに探します。もし、探知機の電子音がなったら、そこには何か金属が埋まっているということです。そこで、探知機を置き、ゆっくり注意深く地面に棒をさして、なにが埋まっているかを確認します。かつて戦争のあったところですから、地雷だけでなく、弾丸や飛び散った地雷の破片など、いろいろな金属がばらまかれています。これらの金属をひとつひとつ取除いていかなければなりません。
もし、地雷が見つかった場合は、回りの土を取除き、リーダーに知らせます。リーダーはそれに爆薬を仕掛けて完全に爆発してしまうのです。
プラスチック地雷のことをいわれますが、カンボジアではほとんどの地雷が何らかの金属を含んでいるので、それほど多くはありません。でも、もしプラスチック地雷があれば、撤去の方法を変えなければなりません。金属探知機は金属片を含む地雷を見つけるためのものだからです。プラスチック地雷が埋まっていると思われる時は、まず細いみぞを掘ります。そのみぞを地雷を探しながら、少しずつ土を取除いていくのです。
いまだに機械による地雷撤去が行われていないのは、地雷原では都市機能が整備されていないので、重い機械や複雑で精密な機械を動かすのに適していないのです。さらに大きな問題は、地元の人が農作業を始める前に地雷の撤去を行わなければならないことです。なぜなら、いわゆるブルドーザーのような大型機械で地雷を取除こうとすると、そこで栽培されている全ての作物をなぎ倒してしまうことになるからです。そういうことを彼らは嫌うのです。
地雷撤去要員に地元の人を使うメリットは、彼らの収入になるからです。私がカンボジアで25名の募集をしたところ、100名が応募してきました。カンボジアの水準からしたら、かなり良い給料がもらえることもありますが、他によい仕事がないということもあります。地元の人がお金を手に入れることで、経済もうるおうことになります。また、そのお金で新しい機械を買い取ることも可能になるのです。大型の草刈り機を買ったので、地雷原で使っていた従来の草刈り機の5倍のスピードアップができるようになりました。
現在、全世界の人が新しい地雷撤去の機械を研究開発しています。この研究を行っている専門家の人たちは、NGO団体からの援助で研究を続けています。こういった技術の進歩により、そのつど新たな手順に変えられています。さらに新しい科学技術も地雷撤去に役立てようといろんなものを開発していますが、今の段階ではまだ実践には使われていないのが現状です。
私がカンボジアで地雷撤去をはじめたとき、最初の大きな問題はお互いの文化を理解することでした。1990年当初、カンボジアでは安全を保障されていたにもかかわらず、当時はクメールルージュの残党も残っていて、彼らとの接触が問題でした。ある日、作業から帰る途中、クメールルージュに誘拐されてしまったのです。トラックの運転手と通訳と私がジャングルの奥に連れていかれました。私のことを外国のスパイだと疑ったのです。そのころはもうスパイなど考えられない時代だったのですが、彼らには通じません。考えてみれば、彼らは家族もなく、学問もうけていない、情報は唯一、クメールルージュの行うラジオ放送だけだったのです。私は優秀な通訳と共に、彼らの説得に努めました。通訳は自分達は殺されるものと覚悟していましたし、少なくとも7回は「もう撃たれる」という場面になりましたが、そのたびに「まだ撃つな」という結果になりました。とてもラッキーなことに彼らの説得に成功し、3日後に解放されたのです。
私は捕らえられたとき、最初にある一つのことを決意しました。それは、決して自分を被害者だと思わない、そういう役割を演じないということでした。
解放された後、夜中にトラックで脱出しましたが、ジャングルの中でトラックがエンコしてしまいました。そこでもたもたしていると別のクメールルージュに捕まり、殺される恐れがあるので、私たちは夜中、歩きました。途中、2つの地雷原を通り抜けてやっと村にたどり着きました。最初に捕まった村に近づいていくと、まだ夜明け前だったのに皆逃げていきます。クメールルージュが私たちを処刑したと村人に告げていたので、みんなは私たちのことをお化けだと思ったそうです。
1995年、私がモザンビークで地雷撤去が済んだ安全地帯で地雷に被雷したことをご存知でしょう。こんなことが起こるはずがないと思っていたことが起きたのです。私は幸運にも生き延びましたが、それを可能にしたのは、堅固な肉体を持っていたことと、最後まで意識をなくすことなく、すべてを覚えていたことです。あきらめることは簡単なことです。あきらめないと言うのは大変なことでした。この場合、あきらめることは死ぬことであり、それは楽なことだったのです。私があきらめなかったのは、私は両親が年老いたとき面倒を見なければならないと考えていたからです。もう一つは、人生で失敗というものは、ベストを尽くさないことであると信じているからです。私を見た医療スタッフが「彼は死んでいる」というのを聞きました。でも私は、私を愛してくれる人、私が愛する人々のことを考えていました。そして、私は幸運にも生き延びることができたのです。
私は右手、右足をなくしましたが、私は被害者ではありません。私は自分で選択して地雷撤去に関わったのです。本当の被害者はそこでしか生活できない、他の場所を選ぶことの出来ない人々であるということを覚えておくことが大切です。
モザンビークやカンボジアなどでは、地雷の被害にあった人が適切な治療を受けることは非常に困難です。私の知っているある農夫は田んぼで地雷にあったのですが、助け出されたのは4時間後でした。もし、誰かが被害にあったとしても、そこは地雷原ですから助けに行った人が地雷を踏む可能性もあるので、簡単に助けに行けないのです。それから、村へ帰るまで数時間、さらに車が通れる大通りに出るのに1時間以上かかったそうです。しかし、車を探すのがまた大変なんです。カンボジアでは大けがをした人を車に乗せるのを嫌がります。なぜなら、自分の車で誰かが死ぬことは、とても縁起が悪いとされているからです。やっと車を見つけて病院へ連れていってもらったのですが、その費用に750ドル支払ったのです。彼の財産は田んぼと家だけです。それを売って費用を支払ったので、彼の家族は何にもなくなってしまったのでした。しかし彼は幸いにも、彼の両親が別のところに土地を持っていて、そこに家を建てることが出来ましたし、チャリティー団体の支援で小さなビジネスを始めることができるようになったということでした。
私は地雷でけがをした後、それまで何でもなかったことが大変になってしまいました。車の運転が出来ないので、車のライセンスを返さなくてはならないということになったのです。私はモザンビークでけがをした後、3週間半、南アフリカの病院にいました。そのあと、ロンドンに戻ってICUに1週間入りましたが、もし、治療した医師がサインをくれれば、運転することが出来るのです。私は毎日、医師に「私は運転できます」と伝えました。そこで1週間後、私はそれを証明するために車椅子に乗り込みましたが、左手だけで操作するので車椅子がくるくる回ってしまいます。少し時間はかかりましたが、どうにか他の方法を見つけて車まで移動ができました。車に乗り込み、自分で車椅子を片付け、左手と左足で運転しました。何も問題はありませんでした。ただ、だれも助手席に乗ってくれる人はいませんでしたが・・・。
私はこの経験から、いままでと違った方法を使えば、何でもできるということがわかりました。ですから、気持ちをしっかり持って、先に先にと考えていけば、障害を取り除くことができるのです。ある人がアドバイスしてくれました。「誰も人は、自分が哀れだと思っている人のそばには行きたくないものだよ」と。
私たちは人生は不公平だとは考えたくないけれど、ときには不公平なこともあります。つらい思いもするし、楽しい思いもする。うまくやったと思う時もあるし、人を妬むときもある。それが自然です。いろんな感情があるのが当然ですが、大事なことは、より良い状態に、より上へ進んでいきたいという感情をみんなが自ら希望して持たなければならないことです。私は、失ったものを悔やむのではなく、そのことをしっかり認識した上で前に進む。自分が何を持っているか、何が出来るかに集中して考えれば、何を持っていないかは問題ではありません。
私は、病院で車椅子に乗って、ロンドンマラソンの中継をテレビで見ていました。そして、来年の大会に出場しようと決めたのです。その時、私は非現実的な考えを持っていて、右足に何か棒のようなものをつければすぐに走れるだろうと思っていました。ところが、現実はそう簡単ではなく、けがをして7ヵ月目に義足をつけて走ったのですが、30分も経たないうちに倒れてしまいました。それでも、私はマラソンに参加することをみんなに宣言しました。そして、実際に5時間30分で完走することができました。それ以来、世界中のマラソンに挑戦してきたのです。
私は走る時、いつもゴールした姿をイメージして走ります。人生とは大きなマラソンのようなもので、完走した時どこにいたいか、夢を持つことが大事です。そして、私は3つのことを考えて走っています。
一つ目は、私が走ることで多くの人たちに地雷のことを知ってもらい、募金に協力してもらうためです。
二つ目は、新しい義足の研究に貢献するためです。どんなことでも不可能なことはないと考えています。
三つ目は、自分の限界にチャレンジするためです。人生において最大の限界は自分で作り出しています。私は誰でも自分が作り出した限界を一歩超えることが出来ると信じています。
ふつうここまでしか出来ないと思っている限界を超えることは大変なことです。私はそれを、サハラ砂漠マラソンで体験しました。このマラソンは1週間かけて走りますが、リュックに食料やその他すべての必需品をつめて、自分で背負って走るのです。しかもそこは砂漠です。3日目、砂だらけのところを走っているとき、「あー、まだゴールまで200kmもある」と考えて、とてもつらく感じました。もし、そのとき、そういう考えをしなかったら、もっとゴールするのが簡単だったかもしれません。その時しなければいけないことは、みんながしなければいけないことなのです。正しいと思ったことに向かって、一歩ずつ進みつづけることです。しつづけること、歩き続けることは本当に大切なことです。
私はもちろん、健常者に比べてかなり努力をしないと同じようには走れませんでした。大きな問題は手が義手であることでした。手のフォームが走りに大きく影響するのです。しかも岩のようなところを行く時は、汗をかくので義手をはずさなければいけないし、通りすぎたらまた着けるのです。しかし、こうした苦労を乗り越えて、完走することができました。そして、このマラソンで一番すばらしかったことは、たくさんの人たちと知り合えたことでした。
私がまずトレーニングとして始めなければならなかったことは、水泳でした。始めてプールに行った時、みんなが私のことをじろじろと見つめました。水の中では何の問題もなかったのですが、義手をはずして水に入るまでが大変でした。それまで、誰にも頼んだりすることがなかったので、とてもはずかしい思いをしました。でも、それは回数を重ねるごとに簡単なことになり、気にならなくなりました。このことは、人生において人が困難に立ち向かっていくときに共通して言えることですが、どんなに困難だと思っていても、それを繰り返すことにより習慣になり、そのときそれは困難ではなくなるのです。
何ごともわからないということが恐ろしいことなのです。私はいろんな経験の中で、人生で大事なことは、ベストを尽くすことが一番である、と感じとりました。そして、もう一つ大事なことは、自分のことだけでなく、他人についても考えを及ぼすことだと気づきました。他の人のことに焦点をあてると、自分自身の身に何が起こるかということは、たいした問題ではないということがわかったのです。
今日は私の話を聞いていただいて、ありがとうございました。ここで質問を受けたいと思います。
(質問)マラソンを走っている時、どんなことを考えていますか?
普通に走っている時は、前に人がいるとかいないとか考えていますが、本当に苦しくなった時は、カンボジアの人たちのことを考えます。このマラソンを完走することで、少しでも人々を助けることが出来るならと、そういう思いで走っています。そして、もう一つは、私自身を克服しようと思って走ります。
(質問)これからの目標はなんですか?
私はいろんな目標をもっています。仕事のこと、家族のこと、スポーツやチャリティーなどそれぞれを達成したいと思っています。でも当面の目標は、あさっての100kmマラソンを完走することです。このマラソンは、熊本に着いてから知ったことですが、500mの高低差があり、しかも13時間30分というタイム制限があるのです。とても厳しいレースになると思います。
(質問)私は教育関係者ですが、子どもたちへのメッセージがありますか?
世の中のことは自分自身で良くしていこうと行動を起こさない限り良くはなりません。これからは地球の環境問題を子どもたちといっしょに考えていかなければならないと思っています。どの国でも将来は子供たちの肩にかかっているのです。また、勇気をもって他の人にあたたかい心を示すこと、そういう態度を見せることです。人生というのは自分の力を最大限に努力して使うことが大事です。人生は決して容易なものではなく、過酷なものであると認識することです。それを認識し、ユーモアで乗り切ろうと決心すれば、それはもう過酷なことではなくなるのです。
とても良い質問をしていただいたので、これでみなさんを解放して帰して差しあげることにします(笑)。今日はどうもありがとうございました。
2000.5.24 クリス・ムーン
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