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KLCC代表 最相博子 私は,昨年より,通訳の仕事で,この10月に水俣で開催されました国際水銀学会の一端にかかわる事が出来ました。そこで,水銀による汚染問題が,水俣の過去の出来事ではなく,いまや世界中で考えていかなければならない環境問題の一つであり,とくに胎児性水俣病患者さんの存在は人類にとっての大きな警告である事を強く感じました。クリスさんを水俣にお連れしたのはそんな経緯もありました。 今年5月,2度目の来熊を果たしたクリス・ムーンさんの熊本での日々は、阿蘇100kラン以外にも熊本を深く印象付けるものだったと確信しています。それは,胎児性水俣病患者さんの存在と熊本の人々の底抜けに明るいおもてなしの心です。患者さんと接し,汚染源となった会社や鈍い対応をしてきた行政へ強い怒りを感じたクリスがいました。 また水俣市,山江村と行く先々で,多いに飲み,笑い,はしゃぐクリスがいました。それにもまして,深い思いやりの持ち主のクリスを強く感じました。来熊直前のハプニング(イギリスでの仕事上のことです)で,100kランに参加できなくなったクリスでしたが,昨年共に走った、熊本てれっとウルトラマラソンクラブの方々の完走を祝い,旧交を暖める事が出来ました。ひとえに皆様方のご支援の賜物でございます。紙面をお借りして,深くお礼申し上げます。 昨年のNHKのテレビ番組“未来への教室”で,クリス・ムーンさんが取り上げられて以来,今年4月には,坂本龍一さんの地雷撤去キャンペーンのCD(“ZERO LANNDMINE”、KLCCでも300枚近く販売しました。)の発売とテレビ番組(クリスも生出演)の放送があり,昨年に比べるとより多くのかたがたが,地雷問題に関心を示されたのではないかと思います。 そんな矢先9月11日にはニューヨークでは貿易センタービルの爆破と言うテロ事件が勃発し,それ以来アフガニスタンをめぐって世界は不穏な空気に包まれているように思います。そのアフガニスタンも深刻な地雷汚染国の一つです。 私達が支援しているコンサーン・ワールドワイドやヘイロー・トラストはもちろん以前からアフガニスタンの支援も行なっているNGO団体です。今や地雷だけでなく,戦火にまでさらされているアフガンの子供達の事を考えますと,胸は張り裂けんばかりにキリキリと痛みます。 何故こんなにもたくさんの子供達が過酷過ぎる状況に巻き込まれなければいけないのでしょうか?神様に祈るだけでなく,やはりクリスが言い続けているように,自分に出来る何かをする事が,平和に向かっての第1歩だと強く感じます。 先日,カンボジアからの連絡で,当地は洪水の被害が大きく,かなり悲惨な状況にあるとのことでした。私は12月半ばからカンボジアに再び参ります。状況がわかり次第皆様にご報告したいと思います。地雷と戦いの無い世界が1日も早く実現しますように
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熊本てっれっとウルトラ・マラソンクラブ副会長 「クリス・ムーン・ウィーク2001の裏話」 今年も、クリスと一緒に再び阿蘇路100kmを走るのを楽しみに“てっれと”の仲間と練習会を重ね、クリスサポート隊を結成し、ゴールはある人との2ショットまで計画を練っていたが、クリスの仕事の関係で来熊日程がずれて、阿蘇での100kmのレースは、キャンセルとなり、しばしボー然とした日々を過ごした・・・。 しかし、阿蘇100kmマラソンは私にとって、一年間、頑張って日々努力してきた“走り”の成績発表の場なのである。クリスが来ようと来まいと、私は時間内完走を目指して頑張るしかないし、実際、時間内に走りぬいた。 ゴールまであと2km地点。菊池女子高校の生徒たちが応援幕を作って声援してくれた。田上、奥田は時間完走が確実だったので余裕の笑顔である。 昨年はどしゃ降りの雨、今年は、カンカン照りの世界で、暑さとの勝負であった。100kmへの挑戦者は、508名。完走者は、292名。完走率57.5%ウルトラマラソンに参加する人は、相当な走り込みをしてきての参加だが、216名ものリタイア者が出たということは、いかにハードなレースであったかを物語っている。 今年は、KLCC副代表のDr. 田上氏を“和製クリス”とし、彼をサポートし、一緒に手をつないでゴールというシナリオ通りのレースが出来た。そして、そのゴール会場には、我が妻、朋子(ともこ)が完走メダルを胸に待っていてくれた。50km初挑戦の我妻は、自ら考え背中に垂れ幕『考えて!!ふみ出したその足の下に もし地雷がうまっていたら・・・』を付けて完走した。 二度目のクリス来熊では、水俣と山江村の二ヶ所がメイン会場となり熊本市内から離れているので、日程が近づくにつれて細かい打ち合わせが大変で、特に来熊一週間前にスケジュール変更となり、最相代表は一時、大パニック状態だった。がしかし、不思議なことに、信念をもって 一生懸命努力した事には、必ず新しい道が開かれて行くもので、直前のトラブルでかえって皆ピリッと気合が入ったように感じた。 <裏話その1 山江村は心豊かな村> 何故、クリスが山江村に?との問いには話が長くなるので、カットするが、私は山江村の実行委員の方々(十数名)との打ち合わせには、3回行った。同行者は、最相、鹿瀬島、高峰さん達で、会議はいつも火曜の夜7時ごろからで10時ごろまで熱心な打ち合わせがあり、そして、“ノミュ二ケーション!”どちらかと言うと10時からの焼酎タイムがメインでエンドレスに近く、1時、2時は、当たり前の世界である。 その場所は、山江村の廃校になった、小学校を改築した、「ケニアハウス」という広大な家で、20人〜30人は泊まれる畳敷きの集会場となっていて、宿泊用の多少“煮つまった蒲団”が山積みされていて、熊本組は、その中から比較的きれいな蒲団を出して、雑魚寝となる。翌日は、当然仕事があるので、5時起床して、そのまま高速を飛ばして、帰ることとなる。 この“山江参り”を最相さん達と繰り返して、少し見えてきた世界があった。最相代表は、理論武装した情熱家の切り込み隊長であり、私は、その横で“まあ、とにかく“ガンバロー”という体力勝負のムードメーカー的な役で、ニコニコと焼酎を飲んでいれば良く、山江に良い飲み仲間が増えていった。そして、回を重ねる度に、山江村も気合が入っていき、しっかり役割分担が出来ていった。 この様な目に見えない連帯感が、突然の日程変更にもしっかり対応できて“クリス・ムーンinくりの里”という大イベントが多くの感動を残して、盛会裡に終えることができたのだと思う。 <裏話その2 クリスとの再会> クリスと再会できたのは、100kmをどうにか完走した二日後の夜であった。前日は、日曜日の真昼間から、いつもの居酒屋の鶴重で、100km完走祝いを仲間三十人程で盛大に飲み食いし、翌月曜日は、モーローとして本業をクリアして、クリスの来熊歓迎会の会場であるKKRホテルに6時半頃入った。参加者は、意外に少なかったが、ほとんど知っている顔ぶれであった。 しばらくしてクリス入場。黒のTシャツを着ていたせいか、少し体が締まって、精悍に見えた。やはり、彼なりにしっかり走りこんでいたようだ。左手で握手し、「ナイストゥーミーチュ-アゲイン」と声をかけると、「〇*△д#!Э?!・・・?」横にいた鹿瀬島さんが笑っていたので、「何て言うた?」と聞くと、「アゴヒゲを伸ばすと、速く走れるのか?」とのこと。これには、一本取られた。ナイスジョーク、さすがクリスである。実は、昨年クリスと走ったときは、鼻ひげだけだったが、今年は、自分自身に気合を入れるため、顎ヒゲをのばしていたのである。 この日の二次会は私の所属する“熊本てれっとウルトラマラソンクラブ”の招待で坪井にある居酒屋“鶴重”に仲間22名を集め、KLCCからも10名ほどの参加があり、楽しい歓談の時を過ごした。我々てれっとの仲間は走るだけでなく、文化的なこともやっているのだ、ということで“中年合唱団”のリードの基に、「アンローリー」と「埴生の宿」を全員で合唱。また、昨年クリスが月出小学校にて講演した事に感動して生まれた“クリス・ムーン氏に捧げる歌”も皆で歌い、クリスも感動していた!<?> 最後は、全員肩を組んで輪になって「いつまでも友達でいよう」の歌を合唱して終了。いつも真面目で何事にも一所懸命に頑張っているクリスに少しでも心安らぐ時をと企画したのです。私自身は最高に楽しいひとときでした。 <裏話その3 市内観光サイクリング> 翌日の5月29日も、朝8時からハードスケジュールが組んであり、この日は、山江村泊となっていて、熊本市内はこの日の朝が最後。クリスは自転車が得意で昨年も早朝、仲間とサイクリングを楽しんだので、今年も朝5時半、KKRホテルに永谷夫妻と私、そして、私のトライアスロンの唯一の弟子一人の4人で、クリスを市内観光に案内することにした。 早朝の電車通りをガンガン飛ばし、まずは、水前寺公園へ。自転車を置き歩いて公園一周。大きな鯉は“カープ”でどうにか通じたが、東海道五十三次の景色を縮小した日本庭園であると説明したかったが、当然、英語で話せるわけがなく、唯一、話したのは、一番高い山を指さして、「イッツ、マウントフジ!」と言ったら、ニコッと、笑っていたが、どう思ったのだろうか・・・。公園を散歩中の二、三人がクリスと分かったようだ。 水前寺公園から江津湖の湖畔をゆっくり自転車で走り、昨秋にチャリティラン&ウォークを開催した所まで行き、Uターンして、途中で別れた。 <裏話その4 山江村にて> この日の夕方、仕事終了後、山江村でのクリスとの交流会に参加のため、単身、車で山江へ。 何度も通ったケニアハウスは大にぎわいで、クリスは記念の植樹をしたり、サインしたりで大忙し。会場では、生ビール、焼鳥、村民手作りの料理が、所狭しと並べられ、交流会の始まり始まり。KLCCから、森さんら7,8名がクリスの本や、グッズの販売等で頑張っておられた。 日が沈むと会場横の水路には、点々とホタルが見られた。クリスは、ケニアハウスの中でサイン攻めの状態で少しかわいそうだが仕方が無い。9時頃、一本締めに続いて松本氏(ケニアハウスのオーナー)の閉会の挨拶で、ひとまず閉会となったが、山江では、これからが本番である。 クリスは、酔ったオッサン相手に山江流の焼酎の飲み交わし方をしつこく教えられ、次には、球磨拳のような山江独特のジャンケンに挑戦していたが、いつのまにか、“あっち向いてホイ”の勝負となっていた。 私は、山江の連中と飲み続け、あとは、おぼろの世界で、一時頃まではかすかに覚えていたが、気がついた時は、朝5時で蒲団の中。回りは、点々と十数名が雑魚寝。皆を起こさないように静かにケニアハウスを出て、一人車で帰熊。 クリスは、ほとんど寝ないで、夜中の3時、タクシーにて最相さんと福岡空港に向かったそうだ・・・。こうして、“クリス・ムーンウィーク2001”は、夢のように終わった。
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